横顔

「松沢先生でも、笑うときがあるんですね」
「なんだよ、それ？・・・」

ワインのボトルが半分ほど空になると、テーブルの上の空気は一気に和やかになった。
その空気に気を許したのか、彼女は桜色に染まったまなざしを僕に向けながら、そう漏らした。

「だって、先生の笑った顔見たの今日が初めてですもん。いつ見てもクールなんですよね・・
なんだかイメージ変わっちゃいました・・・」

「えぇ、そうかなあ？・・僕ってそんな仏頂面してたっけ？・・・」

不意の彼女の言葉は、小さな刺となって心に刺さった。
僕は、その痛みを酔いでかき消そうと
グラスの中に残っているアウスレーゼを一気に飲み干した。

再び、空気が緊張をまといはじめる。

「すいません。なんだか変なこと言っちゃって。失礼ですよね。
　先生とは今日初めてご一緒させていただくのに・・・・」

「いや、気にしないで・・・・」

そう言いつつも、動揺は隠せなかった・・・・

彼女は雑誌の編集の仕事をしていて、友人の紹介で、つい最近知り合ったばかりだ。
一緒に食事をしたのは、今回が初めてで、もちろん親密な関係ではない。
　（良くも悪くも女友達が増えた。いろんな意味で、僕も大人になったと思う）

「そんな人にも、自分の心の闇の部分を見透かされているのか・・・」
　
　酔いに浮き立った脳裏を、その言葉が駆けめぐる。

　昔、ある女性に、同じことを言われたことがある。

　十年ほど前、自分の責任以外のところで色々不運が重なり、
　仕方なく職業を転々としていたころだ。

「のみちゃん。もっと笑いなよ・・・すごい恐い横顔してるよ」

「恐い横顔？　僕がですか？」

「うん、人はねえ、横顔にほんとの気持ちが出るんだよ。
のみちゃん、すごい恐い顔してる。　自分のことをもっと好きになってあげなきゃ」

いつどこで聴いたのか、誰が言ってくれたのか、もう記憶も薄れてしまったが、
その言葉だけは、鮮明に耳に残っている。

あのころ、間違いなく僕は、生きることを憎悪していた。

当時の僕にとっては、無理からぬことだったのかもしれないが、
その思いはまだ、この心の奥底に残っているのだろうか？

だとしたら、忘れてしまいたい。

「無理に忘れることもないよ。心の闇の部分を認めてさ、
　ありのままの姿で生きていくことが、自分を好きになると言うことよ」。

あの日聞いた彼女の声が脳裏に響く。

「ワイン、もう少しおかわりしようか？」
「えー、先生、大丈夫ですか？・・・」

「いいんじゃない。たまには酔っても・・・・」

そう言いながら僕は、屈託のない微笑みを浮かべていることに初めて気づいた。